今日は、ポジティブ心理学の本を読んでいて、興味深い内容を読んだので、そのことについて書きます。
○「やっても無駄」と思うのは学びを得たから?
今でも友達と飲んでいるときに言われて不思議に思うことの一つに「やっても無駄」or「そこまでしてどうするの?」という感情があります。まぁ、僕はたいがいこの手の人に対して、「なぜそう思うのか」ということをずっと考えていました。
例えば、
「結婚したいから、仕事は自分の好きなことをするよりも定時に帰れて、安定的な給与を支給してくれるところがいい」
という考えがあったとします。この発言を聞いたとき、いつも僕は、「えっ、両方やったらいいじゃない笑」と言ってきましたが、たいてい
「それは無理だよ」
という返事が返ってきます。これはなぜなのか。まだ結婚も仕事も何も経験したことがない、僕の大学の友人が僕にできない理由や行動を起こさない理由を熱弁するのです。
僕はいろんな人からいろんな人生観の話を聞き、そういった人たちと話していく中で自分の中で一つの考えが浮かんでいましたが、それが本にしっかりと「言葉」として表現されていました。上の例でいえば、こういった人たちは子供のころの親の結婚生活やこれまでの活動を通して学習したことで、「無力」になったのです。
○学習性無力感
最近、ポジティブ心理学の権威であるマーティン・セリグマン氏の本を読んでいますが、そこで出てきたのがこのマーティン・セリグマン氏の有名な研究の一つである「学習性無力感」です。
st-hakky.hatenablog.com
→マーティンセリグマン氏について知りたい方はこちらをどうぞ。
自分がある事象に対して「無力」であると「学習」することで、それ以降自分が経験するその事象に対して行動を起こさなくなるという理論です。本では以下のような実験が行われていました。
まず、集団を3つのグループに分け、3つのA、B、Cのグループの人はそれぞれ別の体験をしてもらいます。
- A:騒音の鳴り響く部屋に行かされます。その部屋にはスイッチがあり、Aの部屋に行った人はそのスイッチで騒音を消すことができます。
- B:騒音の鳴り響く部屋に行かされます。その部屋にはスイッチがあるのですが、そのスイッチを押しても騒音は消せません。
- C:何も音のならない普通の部屋に行かされます。
この後に、それぞれのグループに行った人には、不快な状態と箱が渡されます。このとき、その箱によって自分にとっていやなことが解決されるとおもって行動するかどうか、が試されます。結果は以下の通りになりました。
- A:状況を変えようと何かしらためし、行動する人たちが大半を占める
- B:状況は変わらないと考え、行動することをあきらめ、いやなことをほったらかしにする人たちが大半を占める
- C:AとBの人たちが半々くらい
これを見て分かる通り、「学習」を通して「自分は無力」と感じる人と「自分ならできる」と感じる人がいたということです。この学習によって無力感を覚えることを「学習性無力感」といいます。
○自分は他者に「無力感」と「希望」どちらを与えるか
最初の結婚の話にもどりますが、友人の話を聞いていると幼少期の家庭環境とその子の人生観には大きく相関があることがわかります。自分もサークルでは多くのタスクをこなしましたし、今もいろんなことができているのはなんだかんだ親がやりたいことにはお金を出してくれ、僕の好きなようにやらせてくれたことが出かかったかなと思います。
仕事でも「あの人には何を言ってもダメ」と思われ、貴重な意見を逃すのか、それとも「あの人は自分の話を聞いてくれる」と思われ、意見を取り入れていい活動をするのか。このように、自分に近い他者が自分に対して「どう学ぶか」によって、自分への対応も変わるということになると思います。
これを知っていれば、どう「伝えるか」、これが自分にとっても相手にとっても大事なことということになりますし、自分は得た学びを「無力感」に安易につなげないようになり、純粋な「知識」として学べるようになり、いつまでも楽しんで活動できるようになるんじゃないかな、と思います。
それでは。